息子の小学校受験は無事希望の学校に合格することができました。
長めの文章になりますが、その経験の中で感じたことをまとめてみます。
我が家の場合
年中の冬から受験対策のために某有名幼児教室に通い始めました。
我が家は共稼ぎなので、平日は保育園に登園、週末に塾通いということになります。
ちなみに私自身は市立小中学校 -> 県立高校 -> 私立大学という学歴を持っています。
妻は中学校入試経験者です。
学校別偏差値リストは存在しない
数値化されるとわかりやすいのでついつい「この学校の偏差値は?」と考えてしまいますが、小学校の偏差値リストは無いと思います。
確かに塾でテストを受ければ点数&偏差値が付くのですが、偏差値が高ければどこでも受かるかというとそう簡単な話ではないのです。
もちろん受験者本人の実力を最重視する学校もありますが、全ての学校がそうではありません。
例えば、
- その学校のOBが家族に居る等のコネがないと入りにくい学校
- 家柄が重視される学校
等々、後から努力して得ることが難しい属性によって合否が決まってくることもあるのです。
ましてや国立小学校では最初と最後に2回も抽選が行われたりするわけで、冗談でなく本当に神頼みだったりします。
なので、もし偏差値リストを探して「小学校受験 偏差値 一覧」等のキーワードで検索したところで、きっとそれらしきリストは見つからないし、あったとしても役に立たないと思います。
何ゆえにその学校を目指すのか? – 学校を知る
入学試験の選考基準が様々だからと言って入りやすい学校を探すのではなく、やはり自分の子供をどの学校に入れたいかを考えるのが本筋だと思います。
そのためには見学会や説明会に参加し校風を把握することが必ず必要です。
また学校からは「コネを重視します」等というストレートな説明を聞くことはできないでしょうから、塾から情報を得ることも必要になるでしょう。
インターネット上の掲示板等は正直真偽不明な情報が多く振り回される可能性が高い気がするので、経済的な負担は大きいもののやはり実績のある塾に通って信頼できる情報を得るのが手っ取り早いように思えます。
余裕があれば受験対象校だけでなく公立小学校の公開授業に参加することもお勧めです。
エスカレータの是非
何故彼がこの大学に入れたのかという問いに「ヤツは付属上がりだから…」、「なるほどね」と納得するパターンは有名私大で普遍的に見られる光景ではないでしょうか。
いろいろな考え方があるので、内部進学できることを重視するのを一概に否定するつもりはありません。
ただ、今の子供達が社会に出る頃、学歴だけで職が得られる状況を想定しているのだったらそれは甘いと思うし、「子供に楽をさせよう」という考え方は何かしら子供の可能性を奪っているように思えるわけです。
ペーパー試験対策
平日は親が時間を取れないし、子供の睡眠時間は削れない。
週末は塾に行っているし、好きな音楽教室も通い続けているから、課題曲の練習も必要。
というわけで同じ塾に通っている子供達の中では、息子の家庭での試験対策のための勉強時間はかなり少ない方だったと思います。
それでも新しい類型のペーパー問題は他の子より息子の方が解けることが多かったです。
過去に授業でやったことのあるタイプの問題ではそれほど差はなかった様に感じます。
また、息子は他の子に比べてテストの成績が安定していましたが、出来不出来の上下の波が大きい子が少なからず居ました。
これらから推測すると、どうやら「考える力をつける」というよりも問題パターンを「覚えさせる」ような勉強の仕方をしている家庭が多いような気がします。
幼児教育におけるこの2つの違いを私はうまく説明できないですが、量をこなして全問題パターンを網羅する、みたいな話を聞くと何か間違っているように思えてなりません。
では、どうすれば考える力がつくのかと言うと、何事も好奇心を持つように仕向けるのが最初の一歩だとは思うのですが、その先は私にもよくわかりません。
例えば、息子が有効数字2桁程度の加減算をできるようになったのは「大怪獣場バトル」や「ガンバライド」の影響が大きいと思うし、本好きになったお陰でいろいろな知識を得て漢字もだいぶ読めるようになりました(小学校受験に不要なものばかりですが)。
塾通いも苦にしている様子は全くなかったけれど、そのように育ったことに親がどれだけ貢献できたのかは正直よくわからないです。
試験当日のもろもろ
待ち時間がある時は、うちの子は読書をしていましたが、折り紙をしている子が多かったです。
みんな上手でした。
時間に余裕があるときでなく、控室に入って面接がいよいよ開始されるという状況になってからトイレに向かう親が多かったのを見て、やはり親も緊張しているのだと思いました。
試験を終えた時に泣いていた子、どの学校でも見かけました。
いろいろなプレッシャーがあったのでしょう。
でも、泣いてしまったことも合否の判断材料になってしまうのが悲しいところ。
グループでの行動観察で、最初に手を挙げたものの答えられなかった子。
もし、「最初に手を挙げるのがいい」と親に吹き込まれた結果だとしたら悲しいです。
試験を終えたうちの息子は、泣いてしまって先生に理由を聞かれている子の横でケロっとしていました。
ペーパーテストについて聞くとボソッと「簡単だった」と一言 (で、実際に合格)。
グループ行動観察については他の子がどのような意見を出したかを、それに対する的確な自分のコメントを加えた上で教えてくれました。
どうしてこうなったか本当にわかりませんが、何だか頼もしいです。
小学校受験で人生が決まるわけではない
妻は怒るでしょうが、正直に言うと私は何が何でも公立小学校を避けたい、と考えていたわけではありません。
入試を経て入学したということはそこで一定のフィルタがかかるわけで、入学してくる児童に関して多様性の一部が失われているはずです。
逆に公立にはいろんな子供が入学してくるのでそれはそれで社会勉強になるのだと考えています。
実際私の人生の大先輩には同じ理由で「小学校受験なんてさせない方が良い」とのアドバイスをくださった方がいます。
全部不合格だからと言って子供の人生が終わるわけではないです。
逆に親が「終わった」と考えると子供は敏感にそれを感じ取ってしまい、それは不幸な状況を生むと思います。
受験に失敗した場合は何故失敗したのか、果たして子供の適性や興味を正しく理解できていたのか、を冷静に見直す必要があるでしょうし、成功したからと言ってそれに慢心することなく、これから先に親として子供に何ができるかを考えなければならないのだと思います。
「親の考える通りに子供を育てることなんて出来ないんだ」といつも自分に言い聞かせるようにしています。